浜松市元浜町にある椿姫観音堂は家康がお田鶴殿を祀ったにしてはあまりにも小規模です。 これでは周囲に椿を植える余地が有りません。 なにか変だと思ったので、この観音堂の歴史を調べる事にしました。
1944年:区画整理があり、元の塚を現在地に移し、「お堂」を作りました。(この時観音様は不在) 1945年:空襲でこのお堂は消失しました。 1952年:消失したお堂をその場所に再建しました。これが今のお堂です。 それ以降に、 そのお堂に観音様を安置しました。(時期は調査中)
大正15年に出版された会田文彬著「蛇塚由来記」に掲載された「御椿姫塚」の写真です。 .. 確かに、移転以前に椿姫塚という名の塚があり祀られていた事が解ります。
下の3枚の地図、同じ区域を示しています。 大正5年のもの(旧地図)です。左上に椿屋敷、椿西、左下に椿前の文字が読めます。 2016年の物(新地図)です。旧地図からは約100年後です。 新旧二枚の地図を重ねたものです。オレンジが旧地図、青が新地図です。 区画整理が有ったこともあり、大きく変わっているのですが、右端の万福寺周辺では 昔の道が残っている部分が見られます。 また上下に走る鉄道は高架になったため平行ではありますが若干ずれています 上方で線路の左側を左右に走る道は、拡幅はされているものの、新旧ほぼ同じ場所です。 新地図のその道沿いで、132の数字のある角が椿姫観音堂の所在地です。 その位置は旧地図では地番479です。(下に拡大図) そこは「椿姫観音堂」の位置であり、「椿姫塚」の位置では有りません。 「椿姫塚」は「椿姫観音堂」の北西5メートル(現地説明図)と言われています。 下の拡大図で其の辺りの地境を見るとそんな雰囲気にも見えます。
冒頭の写真の塚が、お田鶴の方の塚か否かは、諸説あるようなので、ここではそれには触れません。